日 時:2014年12月20日(土)18:30~
会 場:筑波大学附属駒場中・高等学校
内 容:関東ブロック集会プレ報告
「生徒が『わかった!』と言える授業を目指して
― 暗記型の授業からどう脱却するか」 (高校)
社会科を「覚える教科」だとイメージしている生徒を前にして、そのようなイメージを少しでも払拭できるような実践はできないかと常日頃考えています。しかし暗記モノとしてのイメージは根強く、また生徒が「分かった!」と実感できる授業を目指す上で、穴埋め形式のプリントを用いた授業をしている現状があります。生徒が継続した知識を身に付けることができ、また分かったと実感できる授業を、生徒の状況をみながらいかにして行っていくことができるか考えていきたいです。
報告では、授業での教材や生徒の声などを紹介できたらと思います。歴史の授業ではどのような力を身に付けさせるべきか、歴史教育について一から学び直す機会にできたらと思います。
参加者の感想(2015.1.19掲載)
今回の江川さんの実践報告、暗記のみを要求するのでない学びとは如何にあるべきかという問いに、自らの授業の取り組みを深く省みる機会を頂戴したように思います。
◆発問する内容の吟味、生徒が思考を深めるための、その議論を可能とする土壌を作るにはどのような準備が必要になるのか。江川さんが授業に際して生徒さんたちに配布されたというプリント教材を拝見しながら、これを受け取った生徒さんたちは、きっとこのプリントを大人になっても捨てずにとっておくのではないかと、考えるための材料となるプリント作成の丁寧なご努力を想像しながら、そのように思いました。
教材には、もちろん暗記に必要な穴埋めの箇所も用意されていてよいのですし、それは学習の初期段階においては必要なことです。同時に、生徒諸君がこの授業において何を求めているのか、それは用語の暗記 にとどまらず、そこから発するであろう生徒たちの知的欲求、探究心に、どのようにして教員である我々は寄り添うことができるのか、授業の在り方についての根源的な命題を、私たちは吟味する必要があるのでしょう。
記憶された言葉、用語が歴史的事象を考察するに際し有機的に連関し、理解の深まりに伴って思考の地図を作っていく。その過程で生ずる「なぜ?」という問いの前に生徒が立ち止まる瞬間を、見逃すことなく大事にしたいと思います。そのような疑問を共有する者同士の対話が教室に生まれるとしたら、その授業では暗記という作業以上の創造的な営みが確かに行われていると、そう考えてよいのではないでしょうか。
江川さんの実践報告から、いま自身の授業において自らが実践できていることと、できていないことが輪郭を伴って明瞭に認識できたように思いました。本当にありがとうございました。(M)