日 時: 2012年11月17日(土)18:30~
場 所: 筑波大学附属駒場中・高等学校
報告者: 小川輝光さん
内 容:「学校史で学ぶ関東大震災の授業」
報告者 小川さんから
東日本大震災のあとで改めて関東大震災をどう授業化するか考えています。また、今年度担当している高校日本史(学校としては受験対策授業)ではオーソドックスな通史授業を組み替えていくために、主題学習や作業・活動を通じて考察する学習をうまく組みこみたいと考えて試行錯誤しています。
今回は、当時の学校が編集していた『学校時報』所収の教員や生徒の手記などを利用することで、被災後の状況を史料を通じて生徒と学び、あわせて1920~30年代の日本社会、国際情勢を考える素材として関東大震災を取り上げてみたいと思います。
授業構成や教材論、災害史教育などさまざまな観点からご意見を頂ければと思います。
会場から(2012年12月1日掲載)
勤務校に残されている、震災当時の史料=校長の手記や学生たちの記録などを使いながら、関東大震災の様子を生徒にリアリティをもって伝え、震災について考えようという実践でした。テーマのみならず提示された材料も非常に興味深いものでしたので、議論も盛り上がりました。
感想
◆「震災はその後が大事だ」という生徒の感想が、印象に残りました。東日本大震災の「その後」を生きる一人として、生徒たちもそれぞれ考えているのだということを感じます。
災害が発生すると、その被害がいかに大きかったかということが強調され、時間の経過とともにそれは「○周年」という語られ方へと変わっていきます。しかし、災害は起きたその日に完結するものではありませんし、「○周年」以外のときであっても、起きたことに変わりはありません。災害以外の出来事に関しても、同じことが言えます。
関東大震災については、「その後」を記録していない自治体史もあり、東日本大震災についても、すでに記録にない部分もあります。けれども、その中でも問いかけ、生徒が考える材料を提供することは、私たちにとって必要なことです。それは同時に、私たちにできる数少ないことの一つではないでしょうか。
議論の中で、学校をこえて、教員同士が共有できたらという意見が出ました。私もその実現に向けて、これからも研究を続けていきたいです。(Ⅰ)
◆小川さんの関東大震災に関する授業実践、学校史という観点から、生徒たちの身近な問題として捉えさせる方法論に、非常に感銘を受けました。特に朝鮮人に関するデマを毅然たる態度で否定した当時の学校長、佐藤先生の逸話については、現代に生きる生徒たちに明示すべき、普遍的な価値があると考えます。
これらを授業で取り上げる事は、人道的な視点のみならず、錯綜する情報に対する対処法、メディアリテラシーといった観点からも非常に有効であると思います。プレゼン後のディスカッションでは、朝鮮人虐殺の問題についても深く掘り下げる事ができ、関東大震災当時の社会的背景、社会構造上の問題点を歴史的事実として掘り下げ、生徒たちと共に考える機会を持たねばならないと、改めて強く認識させられました。
東日本大震災を経験した現代においてなお、防災教育上の必要性からも、関東大震災が私たちに提示する問題は小さくないと実感します。誠に有意義な発表をしてくださった小川さんに、心より感謝申し上げます。有り難うございました。(M)